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2016年9月2日更新

共同生活と教育の場|ライトの有機的建築に学ぶ[5]

世界的な建築家フランク・ロイド・ライトが生涯生活し仕事場にもした「タリアセン」。彼はここで、建築の教育と実践にも力を注いだ。ライト亡き今なお、彼の提唱した「有機的建築」を学ぼうと建築家の卵が集まる。

不遇と悲劇の時代 よりどころだった「タリアセン」

共同生活と教育の場

 


丘の上に建つタリアセン。その名は地形になぞらえた「輝く額」という意味と、祖先の地であるウェールズの伝説の詩人に由来する/写真
 

シカゴ郊外のオークパークには結婚して間もないライトが、妻のキャサリンや子どもと一緒に暮らした自邸兼事務所が今でも残されています。
周辺にはライトが初期に手掛けた住宅も数多く現存していますが、そうした施主の一人であるチェイニー夫人とライトは、設計の打ち合わせをする中で互いに引かれあっていきました。やがてライトが作品集の出版のためにドイツに招かれると、チェイニー夫人もそれに同行したのです。
ライトの作品集はヨーロッパで高い評価を受け、当時の若い建築家たちに多大な影響を与えました。しかし本国の世間は家族への彼の背信を快く思わず、設計の依頼は激減してしまいます。
ライトは新たなパートナーを連れて、生まれ故郷であるウィスコンシンに次の拠点となる「タリアセン」を建設し、安住の地としました。
しかし、そこで彼を悲劇が襲います。心を病んだ使用人が建物に放火し、チェイニー夫人とその2人の子どもを含む大勢の命が失われたのです。
日本での帝国ホテルの仕事は、そんな逆境の中でライトがつかんだ一大プロジェクトでした。
 

 


アリゾナの砂漠に建つタリアセンウエスト。雪深いウィスコンシンとは真逆の土地で、自邸をさまざまな環境に適応させる実験の場にしていた/写真
 

建築家の卵が集い学ぶ

その後ライトは、アリゾナ州の砂漠の中に3番目の自邸「タリアセンウエスト」を建て、最後のパートナーとなる妻のオルギヴァンナと共に晩年を過ごしました。
暑さの厳しい夏には再建されたウィスコンシンの初代タリアセンへと、季節ごとに遠く離れた二つの自邸の間を製図道具を抱えて行き来しながら、ライトは精力的に設計活動を行いました。
タリアセンはライトの下に世界中から集まった建築家の卵たちの教育の場でもありました。彼らは製図の手伝いだけでなく、大工仕事や炊事に掃除、畑や家畜の世話など生活全般を体験することで、有機的建築の神髄を学び巣立っていったのです。


オークパークの自邸。2階の急勾配の屋根の下には、左右に天井まで届かない壁で仕切られた二つの子ども部屋がある/写真

 
[執筆]遠藤現(建築家)
えんどう・げん/1966年、東京生まれ。インテリアセンタースクールを卒業後、木村俊介建築設計事務所で実務経験を積み独立。2002年に遠藤現建築創作所を開設し現在に至る。

『週刊タイムス住宅新聞』ライトの有機的建築に学ぶ<5>
第1600号 2016年9月2日掲載

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