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2022年9月9日更新

[沖縄]宮廷に愛された風水|琉球風水からひもとく Lily's スペースジャーニー⑥

風水の歴史をたどると6千年前にさかのぼりますが、中国本土でも、風水は段階的に発展していきました。羅針盤が普及し、風水が体系化されるのは、10世紀以降です。そして、風水の技術レベルは、明、清の時代に頂点に達します。最終回となる今回は、この明、清時代の中国、韓国、沖縄の3国の王城の風水を見てみてみましょう。

風水術が頂点に達した時代の美しい王宮

宮廷に愛された風水

風水の歴史をたどると6千年前にさかのぼりますが、中国本土でも、風水は段階的に発展していきました。羅針盤が普及し、風水が体系化されるのは、10世紀以降です。そして、風水の技術レベルは、明、清の時代に頂点に達します。最終回となる今回は、この明、清時代の中国、韓国、沖縄の3国の王城の風水を見てみてみましょう。

中国の紫禁城(北京市)は、明朝第3代皇帝の永楽帝(えいらくてい)の命により、1406年に建設が始まり1420年に竣工しました。紫禁城の建設にあたり、中国全土から風水師が招へいされました。清朝が滅亡する1912年まで、約500年にわたり紫禁城は皇居として使用されました。

朝鮮王朝の王宮、景福宮を見ると、城の背後を守る四神の玄武(※1)を見ることができます。背後の方位は北で、北岳山がそびえ立っています。1392年に高麗王朝を滅ぼした李成桂は、李氏朝鮮を開国しました。都の選定を風水師に命じて、漢陽(現ソウル)に王都を築き、1910年まで約500年にわたり存続しました。

琉球王国は1429年から1879年まで約450年存在し、政治の中心の場は首里城でした。1709年、首里城は歴史上3回目の火災で燃え落ち、1712年に正殿などの主要な施設ができあがりました。翌1713年に首里城の風水鑑定を行った記録が、王府の歴史編さん書『球陽』に記録されています。

※1)中国伝説上の神獣、四神の一つ。
 

紫禁城の背後に景山



景山から見た紫禁城全景。南北961m、東西753mの規模を誇る。その紫禁城の背後(北側)にあるのが、四神の一つ玄武にあたる景山(けいざん)=下写真。城内に川を掘る際、大量に出た土を積み上げて山が造られた。



四神景福宮


朝鮮王朝の王宮、景福宮(キョンボックン)。背後の北には玄武となる北岳山、東に青龍となる駱山(ナクサン)、西に白虎の仁旺山(イヌァンサン)、南に朱雀の南山(ナムサン)がある四神相応の地が選ばれた。



国家政策に取り入れられた風水思想


琉球への風水伝来は14世紀。中国からの移民により風水が伝わった。1660年の歴史上2回目の首里城焼失後、1667年に周国俊が福建に留学。本格的に風水術を使える人材の育成が始まった。その後、1879年の廃琉置県まで約200年にわたり、琉球王府は定期的に中国へ留学生を送った。中国留学で学んだ風水の思想と技術は、国家政策に取り入れられた。首里城正殿の背後(東側)に、玄武の弁之御嶽(びんぬうたき)を望むことができる。

※写真/国営沖縄記念公園(首里城公園)




執筆者
とうどう・りり(Lily)/建築士と連携し、新築住宅の間取りからインテリアまでトータルで風水設計を行う。王朝時代の伝統風水術を現代住宅に適用するため、風水空間プロデュースの手法を体系化した。ロンジェ®琉球風水アカデミー学長。


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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1914号・2022年9月9日紙面から掲載

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