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「さあ、行こう!」ピゥーイ、ピゥ!!
旧暦の七月の十五夜。辺りはすでに暗く、窓には灯(あか)りが見える。それぞれの家で、ご先祖さまをあの世へ見送るウークイの夜を迎えているころ、僕らは三線とパーランクー、そして甕(かめ)を担いで沖縄県南城市の津波古公民館から歩き始めた。(文・写真/本竹功治 建築家)
津波古エイサー/屋久島
「ヤェイサー、ヤェイサー、サァー、ヤェイサー!」
津波古の道ズネーは、「班まーいエイサー」と言って班のエリア内を練り歩く。一昔前までは12ある各班それぞれにエイサーがあったらしいが、今ではもう見られない。それでも昨年から「蘇る津波古プロジェクト」として、12の班でひとつずつ持ち回り、毎年ひとつの班でエイサーが蘇っていく取り組みが始まったのだ。

「蘇る津波古プロジェクト」の班まーいエイサー。次回はうちの班で回ってくれないかなと、ひそかに期待(笑)
まま親遺言
路地では、「三つの歳にゃ親戻(ウヤムドゥ)ち、五つの年にゃ物思(ムヌウム)てぃ」(3歳で親を亡くし、5歳で親を思いだし)「ヤェイサー、ヤェイサー」(そうだよ、そうだよ)と、三線の音とパーランクーにのって「まま親遺言(ウヤヰグン)」という謡(ウタ)が続いていく。そこに描かれているのは、幼き子が亡き母を探しにいく道中での長者との出会いや、旧暦七月の七夕からあの世の門がひらくこと、亡き母から子への願いなど。物語のある詞には、ご先祖や親への感謝と供養の教えが込められている。そこに、「ヤェイサー、ヤェイサー」(そうだよ、そうだよ)と、ガジュマルの枝を両手に踊る子供たち、酒瓶を片手に指笛を鳴らす青年、にぎやかな音に誘われ庭先に出てきたご近所さんまで、一人一人の声が重なっていく。三線の音と声だけという素朴さが、さらに「ヤェイサー」という声をどこまでも遠くに響かせるように聴こえるのだ。
僕はというと、地謡(ジカタ)で参加しながら「あれ、次なんだっけ?」と、数十番ある謡が頭の中でぐるぐる回っていたのだが(笑)、それでも、一節一節がつながっていくたびに、その連なりが「津波古」という場所を理解するための文法のようにも思えてきたのだ。
ヨーイヤサー
そんな折、「キッズスコーレ森の校舎」で使う「屋久島地杉」と呼ばれる屋久島の材を手配してくれた浦田功さんから、屋久島でも盆に踊る伝統行事があると一本の動画が届いた。
「ヨーイヤサー、ヨーイヤサー、ヨーイヤサッサ、ヨイ」
頭に鉢巻(はちまき)を巻いた数人の男性が足踏みをそろえて、声を掛け合い山へと入っていく。手には何も持っていないが、その所作は太鼓を叩(たた)いているようにも見える。どこか聞き覚えのある言葉の響きに沖縄と屋久島のつながりを思わずにはいられないが、屋久島では古くから山の神へ畏敬や感謝の念を伝える「岳参り」という山行がある。浦田さんが言うには「ヨーイヤサー」には、山々に対して「失礼いたします」という心持ちがあるそうだ。
その杉材の仕入れで屋久島を訪れたとき、木材として屋久島の森を見ていた僕に「まずは縄文杉にあいさつに行っておいで」と浦田さんが言ってくれたのを思い出す。トロッコ道を歩いていくと次第に森は深く険しくなっていき、3時間ほど歩いただろうか。森の奥深くにたたずむ縄文杉が現れた。何千年もの時間を重ねたその姿は、「杉」という言葉では言い表せない存在感で、こちらに何かを語りかけてくるようだった。

樹齢7200年ともいわれている縄文杉。何も言われなくても「失礼いたします」という気持ちになる
津波古の「ヤェイサー」も、屋久島の「ヨーイヤサー」も、その言葉の響きには、それぞれの土地で重ねられてきた長い時間を感じる。そんな一つ一つの声の重なりの中にこそ、その土地らしさがあるのかもな、なんてことを考えながら、屋久島から届いた杉の床材を「ヨーイヤサー」(失礼します)の心もちで張ってみるのだ。

「森の校舎」に使う屋久島地杉の床材。油分を多く含む杉の特徴を生かし、沖縄の高温多湿な環境で使っている
執筆者プロフィル

もとたけ・こうじ/アジアを旅する建築家。現在は津波古区を拠点に珊瑚舎キッズスコーレ森の校舎づくりなど地域の活動に関わる。本竹さんの過去記事はこちら
毎週金曜日発行「週刊タイムス住宅新聞」アジアを旅する建築家が見た沖縄の暮らし(6)
第2122号(2026年9月4日発行)より転載