津波古が趣味なんです|アジアを旅する建築家が見た沖縄の暮らし

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「暇なの?」と聞かれ、「そう見えるよね~」と笑い返す。今日も津波古公民館へ遊びにいくと、そんなやり取りから一日が始まる。でもね、津波古で暮らしていると伝統行事の稽古もあれば班の活動もあるし、そこでまた誰かとユンタクがはじまって、手間も暇も自然と増えていく。でもその先で思いがけない出会いが待っているのだ。先月のユッカヌヒーもそうだった。(文・写真/本竹功治 建築家)

馬天ハーリー/伝統木造工法

カーッン、カーッン、カーッン!!

馬天の空に向かって鉦(かね)が一斉に鳴り響き、津波古でも区内外から参加した沢山のチームが、エークを突き上げ速さを競いあった。大いに盛りあがった馬天ハーリーも終わると、ぽつりと声が聞こえてきた。

サバニの一生

「そろそろ直さないとな~」

津波古で開催される馬天ハーリーは、記録によると1926年に遡る。そこから戦後にかけて大会は途切れては復活を繰り返し、いま使っている3艇のサバニは1985年に当時の佐敷町役場から寄贈され、それから40年も乗り継がれてきたものだ。毎年、少しずつ補修を加えながらも、1枚の板を大きく曲げてフンドゥー(木製の接合部材)や竹釘で縫い合わせる舟体は未(いま)だ力強く、颯爽(さっそう)と波をきる姿は本当に美しい。それでもFRP(繊維強化プラスチック)などの素材と比べると、木の舟を維持していくには手間がかかる。そんな時、津波古のサバニを作った舟大工が現役だと知り、糸満まで話を伺ってきた。

津波古のサバニ。船材に適するとされる飫肥(おび)杉を宮崎県から3艇分仕入れ同時に制作したそう。なめらかな流線が美しい

一般的に木材の使用年数は、立木の時の樹齢と同等とも言われているが、適切な補強や材の取り替え、また保存方法によっては樹齢以上にもなると言う。しかし、「材である以上、寿命はある」と、40年前に津波古のサバニを作った舟大工の大城清さんは言う。木には立木のうちの命と、木材になってからの命、2度の命があるそうだ。じゃあそのあと木はどうなるの? 「サバニというのはカタチだけじゃなく、その由来や海とのつながり、そして40年の手間をかけてきたみなさんの愛着もある。これから先、舟も人も営みも生き続けるには、何を残していくのかを考えてほしい」と、大城さんは続けた。材としての木の役割を終えるまで、そして終えた後のその先までを津波古に関わる皆(みな)で考える時間をつくっていきたいと思った。

手間と暇をつくる

そんな時間を、古代ギリシャでは「スコーレ(schol)」と呼んだそうだ。「森の校舎」を運営する珊瑚舎スコーレの言葉を引用すると「生き物は大体、採食と繁殖と休息の三つで1日が構成されている。面白いことに、古代ギリシャの人たちは、この三つではない時間を手に入れたとき、解放される時間を『スコーレ』と言ったんです」とある。

じっくり手間をかけ人や自然と向き合う時間は、やがて人々が集い互いに学び合う場となっていく。そして暇という意味の「スコーレ」は、学校という意味の「スクール」になった。

「森の校舎」もまた、木と向き合い手間をかける時間を大切にしている。柱を軸とした木組みの伝統木造工法は、生きている木と木が数十年かけて互いを締め合っていく。棟梁(とうりょう)の杉浦俊一郎さんは、その変化を見据えて一つ一つの接合部に手を入れていた。

大工棟梁の杉浦さん。一本一本梁材の反り加減や水平を見ながら木と木をつなぐ仕口の深さを調整していく

毎朝キッズたちが雑巾がけをする杉の床も、日ごとに艶を帯びてきている。森に囲まれた環境では湿度の変化で木の雨戸は重くなるし、カビも生える。その都度手入れが必要だけど、「そろそろ直さないとな~」の声に、「ですよね~」からはじまる関係が、材と向き合う手間暇をつくっていくんだな、なんてことを考えながら今日も津波古字誌を片手に公民館へ向かう。

「暇なの?」「そう見えるよね~」。

これが楽しくて、いつの間にか津波古が趣味になりました。

掛矢で梁を打ち込む筆者。大きさも形も違う梁は、丸太を加工する段階から構造上有利になるように検討される

執筆者プロフィル

もとたけ・こうじ/アジアを旅する建築家。現在は津波古区を拠点に珊瑚舎キッズスコーレ森の校舎づくりなど地域の活動に関わる。

本竹さんの過去記事はこちら

https://note.com/kojimototake


毎週金曜日発行「週刊タイムス住宅新聞」アジアを旅する建築家が見た沖縄の暮らし(5)
第2118号(2026年8月7日発行)より転載